ゆっくり起きた予定の無い休日の朝、折り畳み自転車とともに列車に乗って、ふらっと思いのままにローカル駅で降りてみる。特別な観光地ではなく、普通に人が暮らし、働き、近所の公園で子どもが遊んでいる、なんの変哲もない町だけど、のんびり走ってみると、いろいろな発見や出会いがある。そんな、小径車だからこそのゆるい自転車散歩をお送りする連載記事。今回はJR鶴見線の国道駅を起点に、鶴見川河口エリアにひそかに存在するという貝殻の路地探しの旅に出たいと思います。
横浜市(*)
を流れる鶴見川の河口エリアのどこかに貝殻だらけの路地があるらしい。北海道の稚内市には、ホタテの貝殻を敷き詰めた「白い貝殻の道」という有名な絶景フォトスポットがあるけれど、名前から受ける印象だけでいうと「貝殻の道」より「貝殻の路地」の方がノスタルジックでセンチメンタルでよりいっそうロマンチックなかんじがする。ところがGoogleで[鶴見川 貝殻の路地]と検索しても、場所はもちろん、それらしい画像も見つからない。本当にあるのかどうか、昔はあったという話なのか?これはもう自分で行って確かめるしかない…今回のローカル駅からはじめる自転車散歩はそんな「貝殻の路地」探しのお話になります。
※東京都町田市、川崎市も流れています。
というわけで、やってきたのは鶴見川の河口に近いJR鶴見線の国道駅。ここから貝殻の路地探しの旅を始めたいと思います。ちなみに国道駅は昭和5年(1930年)に完成した高架構造の駅ですが、開業から94年間ほとんど改装されず、当時の駅の面影が色濃く残っているということで、鉄道マニアや昭和レトロマニア、そして気の早い廃墟マニアたちの世界ではかなり有名な駅です(この日も2人、一眼レフで熱心に駅構内を撮影している男性がいました)。
国道駅の前を走る大きな道路は国道15号線(駅が開業した当時は国道1号線)。国道駅の名前の由来がこの国道であることはまず間違いないでしょう。 |
国道駅の壁には、太平洋戦争末期に付けられた米軍のP-51戦闘機(マスタング)による機銃掃射の痕が残っています。
国道駅の構内(高架下)に入っていきます。照明が少なく薄暗いですが、昔はどこもこの程度の明るさだったのかもしれません。かつてあった不動産会社さんの哀愁あふれる手書きの看板がステキです。
国道駅の改札。無人駅です。
見かけによらず利用客は多く、写真を撮るには人待ちをする必要がありました。 |
国道駅が開業した当時の高架下は臨港デパートという名前のアーケード商店街だったそうですが、もはや往時の賑わいはかけらもありません。焼き鳥屋さんが1軒、2021年まで営業していたそうですが、現在はすべてのお店が閉まっています。
不思議な通路がありました。ひとん家(ち)の敷地の中に不法侵入していくような気がして行くかどうか躊躇していると、年配の女性がひとりすたすたと入っていきました。追いかけるように通り抜けてみると、通路は向こう側の住宅街の小道に続いていました。
廃墟のような高架下アーケードを通り抜けて、入ってきたのとは反対側の裏通りに出ました。じつはこの通り、弥次さん喜多さんが東海道中膝栗毛で歩いた旧東海道です。
旧東海道を200メートルだけ京都に向かって走ると、生麦魚河岸通りという魚屋さんがたくさん集まった一角があります。江戸時代、このあたりでは新鮮な魚がたくさん獲れたそうで、当時の港町の名残りだそうです。
魚屋さんの店先に並ぶ江戸前の穴子。生麦魚河岸通りの魚屋さんはすべてプロ向けの卸売なので、陳列方法も好きに選んでくれというかんじです。
美味しそうな赤貝もたくさん並んでいました。
穴子と赤貝の写真を撮らせてもらった横芳さん(黄色い庇のお店)。「買わないけど写真撮らせてもらっていいですか」と店先のお姉さんに聞いたところ、「全然いいですよ」という気さくな返事とステキな笑顔が返ってきました。
肝心の貝殻の路地探しですが、生麦魚河岸通りの両脇にはたくさんの路地がありましたが、下の写真ようにアスファルトで舗装されている路地ばかりでした。生麦魚河岸通りがあるのは横浜市鶴見区。そこそこの都会です。こんなところにいまどき舗装されていない道なんかあるのかなと不安がよぎります。
しばらくうろうろ走り回ったものの、貝殻の路地どころか舗装されていない路地がなかなか見つかりません。そこで路地を探すのはいったんあきらめて、下の写真のような家と家の間の隙間を観察してみることにしました。こういった場所には舗装されていない土の地面があるからです。
不法侵入にならないように道路からそっと覗きこむと、なんだか白いかけらがいっぱいあるぞ…
ぐっと地面に顔を近づけてよく見てみると、あっ貝殻だ!
路地ではないけれど貝殻のある地面が見つかり、これはもう、貝殻の路地も絶対にあるはずだ!と急にやる気みなぎり周辺の住宅街をめったやたらに走り回ったところ、舗装されていない路地をようやく発見。地面を見てみると…
貝殻のかけらがたくさんありました。
でもなんだか、自分勝手にイメージしていたセンチメンタルでロマンチックな貝殻の路地とはかなり雰囲気が違う。だいたいにおいて貝殻の量が少なすぎる。というわけで、もう少し貝殻の多い路地を探すことにします。
おっ、舗装されていない路地発見。
貝殻はあるけど、やっぱりあんまりステキなかんじじゃない!
そんなこんなで住宅街の小道を縦横無尽に走り回ること数十分。今日見た中で貝殻率のもっとも高い路地がこちら↓
草の間の白い部分はほとんど貝殻のかけら。
以上、ロマンチックかどうかはともかく貝殻の路地を見つけることはできました。しかしながらここでひとつ疑問が浮かんできませんか?なぜ地面に貝殻がいっぱい転がっているんだろう?誰がなんのために貝殻を撒いたりしたんだろう?
実は、稚内市の白い貝殻の道とは違って、このあたりの貝殻は人為的に撒かれたものではなく、土壌そのものに大量に含まれているのです。そのことは、路地探しのついでに寄った鶴見川河口干潟でこのあたりの地層を偶然目にした時に、完全にわかってしまったのです。
というわけで鶴見川河口干潟とそこで見た地層を紹介したいと思います。
鶴見川の河口。黄色の矢印のあたりが干潟になっています。
地図でいうとこのあたり。生麦魚河岸通りのすぐ東側です。
干潟に下りてきました。砂浜のようですが、砂のように見えるのはすべて貝殻のかけらです。
そして下の写真が干潟から土手に上がる時にたまたま目にした地層。地表から30センチくらいは貝殻混じりの土の層になっていますが、そこから下は貝殻だけが積み重なった地層になっています。
アップで撮ってみました。下の方に見える貝殻の層はいうまでもなく、茶色い土の層の中にも大量の貝殻が含まれています。これを見た瞬間、貝殻の路地の成り立ちがわかった気がしたのです。
だれかが作った貝殻のオブジェ発見。
貝殻の路地のひみつも解き明かし、なんだか少々充実感。というわけで、貝殻の路地探しはいったんおしまいにして、すぐ近くに行っておきたかった場所が2つあるので、そちらに向かおうと思います。
まず向かったのは生麦事件発生場所。江戸時代末期の1862年、馬に乗ったまま薩摩藩の大名行列を横切ろうとした4人のイギリス人を薩摩藩藩士が殺傷。これが有名な生麦事件です。この事件をきっかけに薩英戦争が起こり、英国の近代兵器の威力を目の当たりにした薩摩藩は日本の現状に危機感を持ち、その後倒幕そして明治維新に向かって突き進むことになります。そんな日本の歴史の転換点とでもいうべき大事件が起こったのがこの場所です。
上の写真の案内板は、民家の軒先にひっそりと立っていて、うっかり通り過ぎるところでした。目の前の道路は旧東海道。今から162年前、この道を大名行列が通っていたと思うと不思議なかんじがします。
続いて向かったのは生麦事件発生場所から700メートルほど西側にある生麦事件碑。先ほどの場所で致命傷を負った男性(イギリス人のリチャードソン)はここまで逃げ、ここで命を落としたそうです。
国道駅を朝9時にスタートして約2時間、そろそろお腹が減ってきたので、生麦魚河岸通りまで戻り、1軒だけ営業していた大衆食堂 生麦さんでお昼ごはんを食べることにします。路地探しで走り回っている時に見かけて、昼メシはここだ!と決めていました。
看板からしてうまそう。
頼んだのは海鮮チラシ。金曜・土曜限定のサービスメニューだそうです。旨かった。
貝殻の路地も見つけたし、昼メシを食べたら帰ろう…と考えていたのですが、海鮮チラシを食べているうちに、ひとつ新しい疑問が湧いてきました。貝殻の地面はいったいどのあたりまで続いているのだろう?エベレストの山頂に貝殻の化石があるという話を聞いたこともあるし、もしかしたら普段気にしていないだけで、じつは日本中の地面に貝殻のかけらが混ざっているのかもしれない…。新たなナゾを解くために、もう少し走ることにします。
まず調べに行ったのが、大衆食堂 生麦さんのすぐ近くにある高松稲荷の境内。神社の境内は舗装されてなさそうだし、敷地の中に入って地面の写真を撮っていても警察に通報されたりしないだろうという理由から、貝殻調査は神社の境内で行うことにしたのです。
駐車場にめり込むようにあった高松稲荷さん。ちゃんとお賽銭入れました。 |
ほこらの横の地面。しっかり貝殻が転がっていました。
鶴見川の河口からもっと離れたらどうなんだろう?と思って、次に調べたのが河口から約1キロ離れた場所にある生麦神明社の境内。
ここも貝殻がいっぱい。
地図で示すと高松稲荷は(A)、生麦神明社は(B)のあたりです。どうやら鶴見川の西側についてはかなり広範囲にわたって貝殻の地層が広がっているようです。
では鶴見川の東側はどうなんだろう?川を渡って調べに向かいます。
臨港鶴見川橋から見た鶴見川。正面の橋はJR鶴見線の架橋。 |
鶴見川の東岸から500メートルぐらいのところにある小野弁天神社に到着。
貝殻は…ないぞ!かなり念入りに調べましたが、鶴見川西岸の貝殻密度がウソのようにひとつも見つかりませんでした。
少し離れた場所にある名もなき稲荷神社の地面も調べてみました。
やはりない(白いのはすべて石です)。
川から離れすぎたかな?と思い、河岸近くの路地を探してみることに…。ほどなく貝殻が転がっていそうな路地を発見。
がしかし、まったくない(白いのはすべて石です)。
あきらめきれずにもう一か所。
やっぱりない。というかものすごく見慣れた地面だ。
参考までに先ほどの地図に、貝殻のなかった小野弁天神社(ア)と名もなき稲荷神社(イ)の場所を付け加えておきます。
というわけで日本中の地面に貝殻が混ざっているかも…なんていうのは思い違いであり、気の迷いであることがわかったので、帰路に着くことにします。なぜ河口の西側だけに貝殻があるのか?貝殻の地層は深さどれぐらいまであるのか?家を建てるときは地盤改良工事が必要なのか?疑問は次から次へと湧いてきますが、ナゾの解明は生麦周辺在住の小学生の夏休みの自由研究に委ねたいと思います。
今回の自転車散歩のゴールは京急鶴見駅です。駅前にエスプランさんというパン屋さんがあり、このパン屋さんの前身は旧東海道沿いにあった覇王樹(さぼてん)茶屋というお茶屋さんだったそうなのです。宮本武蔵や坂本龍馬も立ち寄ったことがあるそうなので、どんなところか最後に寄ってみようと思います。
京急鶴見駅に向かう途中、おきなわ物産センターというちょっとのぞいてみたくなるお店がありました。
見たことのない飲み物がたくさん売られていました。
「飲む極上ライス」というキャッチコピーに魅かれて買ったミキジュース。お汁粉とお粥を混ぜて固形分を取り除いたようなドロッとした食感とほっこりする甘みの飲み物でした。
エスプランさんに到着。紺色のシートに大きく覇と書いてありますが、これはもちろん覇王樹(さぼてん)茶屋の覇ですね。
シートの横には旧東海道鶴見覇王樹茶屋跡と書かれた石碑が建っていました。
エスプランさんで買った珈琲あんぱん。透明の包装の上には、東海道の「今」の味と書いてあります。どんな味なのか、早速食べてみたいと思います。
店先の道路(旧東海道)ではつるぎんドット来~いという催しが行われていて、地元のダンススタジオの生徒さんたちが華やかなダンスを披露していました。米軍の機銃掃射に怯えることも、大名行列にひれ伏す必要もない平和な時代に生まれてきて良かったな~と今日の行程を思い返しながら食べる珈琲あんぱんは甘くてとても美味しかったです。
それでは、京急鶴見駅から帰途につきます。スタート駅とゴール駅が違ってもまったく問題ないのが輪行のいいところです。
最後の最後になりましたが、今日の貝殻の路地調査の相棒を紹介しておきます。DAHON Boardwalk D7の進撃の巨人コラボモデルです。サーベイコープスグリーンという調査兵団をイメージした色の車体がステキな限定モデルです。
調査兵団の刻印。
今回巡ったポイントと走行ルートです。路地探しでくねくねと走り回った道順は記憶していないので省略しています。走行距離はおおよそ12~13kmぐらいです。
今回の「ローカル駅からはじめる自転車散歩」は如何でしたか?日本には全国くまなく駅があり、輪行すれば「楽に長距離を」「比較的安価に」移動でき、天候や体調の急な変化や機材トラブルにも対応できます。今回の記事に登場したDAHON Boardwalk D7は街中のポタリングにぴったりの折り畳み自転車。DAHONでは様々な折り畳み自転車をラインナップしていますので、走行機能と折り畳み機能のバランスを考えながら直感的な好みも含め、自分にあったモデルを選んでください。
DAHONでは様々な地方のローカルな鉄道駅を起点にした自転車散歩(ポタリング)記事を連載しています。更新時にはFacebookやX(旧Twitter)、Instagramでお知らせしますので、ぜひフォローをお願いします。
*使用車体
DAHON / Boardwalk D7 進撃の巨人 限定コラボモデル(サーベイコープスグリーン)
*この記事で紹介している情報は、2024年1月時点の取材に基づいています。
*歩行者のいるところや細い路地などは押し歩きや迂回するなど、マナー優先でサイクリングを楽しみましょう。