2021年4月8日木曜日

ローカル駅からはじめる自転車散歩【阪堺電車 上町線 住吉駅】

 ゆっくり起きた予定の無い休日の朝、折り畳み自転車とともに列車に乗って、ふらっと思いのままにローカル駅で降りてみる。特別な観光地ではなく、普通に人が暮らし、働き、近所の公園で子どもが遊んでいる、なんの変哲もない町だけど、のんびり走ってみると、いろいろな発見や出会いがある。そんな、小径車だからこそのゆるい自転車散歩をお送りする連載記事。今回は、大阪唯一の路面電車として運行されている阪堺電車の住吉駅からスタートします。



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大きな道路の真ん中を悠々と走る路面電車は、大阪の風物詩のひとつ。明治44年の開業以来、大阪市南部や堺市の人々の生活の足として重要な役割を担ってきました。阪堺電車は、正式には阪堺電気軌道といい、いまや大阪唯一の路面電車に。恵美須町~住吉~我孫子道を結ぶ阪堺線と、天王寺駅前~住吉~浜寺駅前を結ぶ上町線の2路線で運行されています。憧れはするものの、天王寺以南に馴染みがないと乗ったことの無い大阪人も多いのではないでしょうか。今回は、阪堺電車の行き来する風景をゆるくのんびりと辿ります。

降り立ったのは住吉駅。住吉大社に隣接していますが、住吉大社へはひとつ南の住吉鳥居前駅が便利です。住吉駅は阪堺線と上町線が合流する駅で、南行きは阪堺線、上町線それぞれ個別にホームがあります。こちらは天王寺駅前方面から到着する上町線のホーム。北行きや阪堺線の南行きホームは道路の真ん中にありますが、こちらは専用軌道区間にあり、一般的な電車の駅の様な佇まいです。赤い車両の前面には「阪堺電車開業120周年記念」のフラッグが掲げられていました。

阪堺電気軌道では、2020年9月20日に開業120周年を迎えたことを記念して、開業当初から現在に至るまでの写真などを展示した 車両を運行するほか、記念ロゴをデザインしたヘッドマークを掲出していました。阪堺電車は全線均一運賃(大人230円・小児120円)で、電車を降りる時に運転士側の運賃箱で支払う(ICカードは乗車時降車時の2回タッチ)ので、割引乗車券の販売駅を除き駅に券売機や改札口はありません。今回の自転車は14インチホイールのK3。3段変速でスポーティーな走りも実現しながら、コンパクトに折り畳める点が人気のモデルです。本体重量7kg台と驚異の軽さを実現していることから、輪行で担いでもとても楽です。

住吉駅に停車する車両(605)を、北側の踏切から撮ってみました。車両のすぐ向こうに見える踏切には遮断機がありません。低速で走っていて見通しも良いので、無理な横断をしている人にはフートゴング(警笛)を鳴らしていました。電車と人の距離が近い、ゆったり温かみのある風景です。

写真奥からこちらに向かってくるのは2003年に導入された、1001形「堺トラム」。新旧の車両が行き交う様子が新鮮です。

可愛らしい車両が走る様子はミニカーを眺めているよう。以前はここで阪堺線と上町線が平面交差をしていて、写真中央右寄りの奥に向かって線路がありました(コインパーキングの部分です)。


茶色のレトロな車両は、モ161形164号。モ161形電車は、日本において定期運用される電車として最古の車両で、定期運用を退いた動態保存車を含めた場合でも日本で5番目、路面電車では2番目に古い車両だそうです。


住吉大社の駐輪場に自転車を停め、境内を歩いてみました。表参道から鳥居越しに見る車両は、阪堺電車でお馴染みの風景です。奥には南海本線の住吉大社駅も見えています。高層ビルに挟まれた天王寺方面の車の多い路面を走る様子や、恵比寿町方面の通天閣のある風景も阪堺電車を代表する景色ですが、今回はゆったりした街並みを散策しています。

住吉大社は、全国に2300社ある住吉神社の総本社で、例年であれば年のはじめには200万人以上の参詣者が訪れます。緑に囲まれた境内には、国宝に指定され古代の建築様式を伝える四本殿をはじめ、住吉の象徴とされる反橋(太鼓橋)や多数の文化財、樹齢1000年を超える御神木など、悠久の歴史を感じる由緒深い神社です。

住吉大社は上町台地の南の端に位置し、今は海岸から何kmも離れていますが、昔は台地の西がすぐ海辺でした。住吉大社は海の神である筒男三神と神功皇后を祭神とし、古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社です。写真は、太鼓橋の横にあるモニュメントに設置された、万葉時代の周辺の地形を記した解説板。中央の赤い四角の部分が住吉大社です。

天王寺駅前まで行った164が戻ってきた様子。道路の中央を走る姿を見ると、車の免許を取り立ての頃、路面電車と並走する際に緊張したことを思い出します。ここから南(写真手前)は専用軌道区間となるので、線路と分かれて紀州街道を進みます。


紀州街道は、大阪市の北浜近くの高麗橋のあたりを起点に和歌山市に至る旧街道名で、別称住吉街道とも呼ばれます。こちらの御祓橋には紀州街道と御祓橋を説明する碑が立っていました。

この川は細井川といい、近くにある阪堺電車の駅名も細井川駅ですが、正式名称は「細江川」、古代には「住吉の細江」と呼ばれた入り江で、住吉津があった場所です。お伽話の「一寸法師」が都へと旅立ったのも、この「細江川」だったとされています。住吉大社にあった万葉時代の地形を記した解説板では「細井川」とありました。


長居公園通を越えると専用軌道は真っ直ぐに伸びています。踏切からは、駅に停まりながらゆっくり近づいてくる車両の様子が、だいぶ前から見えます。


当日は3月下旬。例年より早まった桜の開花時期に重なり、町並みを探検していたら三分咲きの素敵な古木に出逢いました。民家のようですが、雰囲気のある日本家屋と立派な桜にDAHON K3もいい感じで馴染みました。


町並みを楽しみながら我孫子道(あびこみち)駅まで来ると、駅のすぐ南に阪堺電車の車庫(我孫子道車庫)がありました。正しくは検車施設兼車両基地(車庫)で、大和川検車区といいます。


朝の通勤通学の時間帯が終わり、車庫に車両が戻ってきていました。この我孫子道車庫では、昭和30年(1955年)頃までは100両以上収容していたこともあったそうです。路面電車にはミニカーのような可愛らしさがあり、眺めているだけでほのぼのします。


阪堺電車の路線には、路面走行、急カーブ、アップダウンなど短い区間に鉄道の楽しみがたっぷり。こちらは大和川の堤防に向かって軌道が徐々に高架になっているあたりです。

1001形(堺トラム)に加えて2020年に新たに導入された低床式車両の1101形。車両は3つの車体で1つの編成を構成する連接型(3車体連接固定編成)。

高架はもう1箇所。写真の車両は、大和川の堤防から大阪市側に入ってきた503号。急いでカメラを向けたので、露出オーバー気味になってしまいました。

モ501形は1957年に阪堺電気軌道の前身である南海電気鉄道が導入した車両。前面の、中央の運転席窓を広く取って左右に開閉可能な細窓を並べた3枚窓構成は、大阪市交通局が前年に製作した大阪市電3001形に準じたスタイルです。

大和川を渡り、大阪市から堺市に入ります。阪堺電車はその車両自体がフォトジェニックな被写体ですが、この橋を渡る車両の姿は阪堺電車を代表する景色の一つです。

大阪市と堺市の境界、大和川に架かるこの橋は「大和川橋梁」といい、阪堺電車の創業時となる1911年製です。橋を支える橋脚は珍しい鉄管柱で、近代土木遺産に選定されています。

大和川を手前に渡ってくると堺市。川の土手の上に大和川駅があります。

赤錆色の横河ブリッジは横河橋梁製作所(現在の横河ブリッジ)によるものです。100年以上にわたってみんなの暮らしを支えてくれているんですね。


大和川の土手を下りて少し行くと、阪神高速道路沿いに細長い公園がありました。後から調べると、環濠を埋め立てた跡地を利用した土居川公園でした。「環濠」とは、町の周囲にめぐらせた堀のことで、国際貿易都市として繁栄していた中世の堺では、「会合衆」と呼ばれる豪商たちが、戦乱から町を守るために「環濠都市」を形成、「自治都市」として都市運営を行なったそうです。

その土居川公園のいちばん北端に、この高須神社がありました。

高須神社は、大坂冬の陣で1000挺(丁)の火縄銃を製造するように急遽命じられた芝辻理右衛門が、徳川家康からこの高須の土地を授かり、鉄砲鍛冶の繁栄を祈願して創建した神社だそうです。

高須神社のすぐ横を阪堺電車が走っていて、高須神社駅という駅もありました。

駅近くに「喫茶ラック」という店があるのを事前に知り立ち寄ろうと思っていたのですが、現地でぐるぐる走っても見つけられず…後日、改めて調べてみると駅の東に隣接してありました。残念。

踏切を渡って西へ走るとすぐに、お香屋さんの薫主堂を発見。目と鼻の先にある堺市指定有形文化財の鉄砲鍛冶屋敷跡「井上関右衛門家住宅」と堺市立市町家歴史館 清学院は両方とも工事中でした。前者は「(仮称)鉄砲鍛冶屋敷ミュージアム」として令和5年度に開館予定です。

南蛮貿易の拠点だった堺は16世紀末頃に原料の香料が持ち込まれ、日本で初めてお線香が作られた町で、江戸時代には線香の産地として知られるようになりました。薫主堂は創業明治20年、旧鉄砲屋敷跡が残る古い街並みの一角で、百年余り3代にわたって伝統的技法での線香づくりにこだわり暖簾を守っている老舗です。

綾ノ町駅の方へ向かうと、線路を横切る綾之町東商店街がありました。すぐそばを抜ける車両が迫力満点で、圧倒されました。


カーブの向こうから車両が姿を現す様子が風情のある、綾ノ町駅の南行き(浜寺駅前方面)のりば。阪堺電車は沿線住民の生活の一部になっていて、朝夕の通勤通学客の多い時間帯も趣があります。

京都の町が、応仁の乱の戦乱で焼野原と化した時、技量のすぐれた織物師が堺へ移住してきて、この地で「錦織り」「綾織り」などをはじめたので、「錦之町」「綾之町」「錦綾町」などの地名がついたと言われています。また、当時堺は外来物資の入手できる貿易港をもっていたので、都の宮人たちが着る高貴な錦に綾の織物を、大陸から伝わった布や技術で織ったところから、この地名が生まれたという説もあります。

大道筋の中央に設けられた北行き(恵美須町方面)のりばを出る3車体連接固定編成の1001形電車(堺トラム)。

2013年に導入された1001形は3編成が運用されていて、写真の1001号は千利休が追求した「わび」をイメージし「茶ちゃ」という呼称がつけられています。木材が随所に使用されて和をイメージされた内装は高級感もあります。

綾ノ町駅から南方面は、堺市街地のほぼ中央を南北に貫く大道筋(だいどうすじ)という片側3車線の道路の中央に軌道があり、2.5kmほど直線が続きます。江戸時代に紀州と泉州の交易ルートであった紀州街道。その一部(大道筋)を路面電車が走っているというのも感慨深いです。

大道筋という名前は、1989年に市制100周年記念事業の一環として綾之町交差点以南の大通り区間に堺市から与えられた、道路愛称だそうです。

綾ノ町駅から1 ブロック南下したしたところに、伝統的な堺の町家暮らしを感じることが出来る文化財建造物として公開されている「町家歴史館 山口家住宅」があります。建立年代は江戸時代初期と考えられ、数少ない江戸初期の町家建築で、全国的にも貴重な建物とされています。

山口家住宅は内部に広い土間があり、土間に面して畳の部屋が一列に三室並び、畳の部屋の上に二階があります。土間には、梁と束・貫で構成する和小屋が組まれ、壮大な空間を作っています。

目星を付けていたカフェに向かうことにします。途中、小さな川沿いに整備された小径に、桜並木がありました。まだ三分咲きといったところでしたが、束の間の花見が楽しめました。


今回最終の目的地としていたのはこちらのカフェ「アカリ珈琲」。昭和20年代の長屋を、店主自ら三ヶ月かけて改装した落ち着きのあるカフェで、《煎りたて》《挽きたて》《抽れたて》の「三たてに」こだわった自家焙煎珈琲を中心に提供されています。店主は人柄のいい雰囲気なので、近くをポタリングされる方は要チェックです。

ドリンクは珈琲の他に無農薬ケニア紅茶やハニーチャイ、自家製フルーツシロップもあり、少し迷いました。フードもパスタやホットサンドがあり、いずれも魅力的です。

今回巡ったポイントと走行ルートです。約8kmのショートトリップでしたが、見どころが多く、時間が許せば見学をしたい施設も多数ありました。鉄道マニアの方、路面電車好きの方も楽しめるエリアです。



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今回の「ローカル駅からはじめる自転車散歩」は如何でしたか?日本には全国くまなく駅があり、輪行すれば「楽に長距離を」「比較的安価に」移動でき、天候や体調の急な変化や機材トラブルにも対応できます。今回利用したDAHONのK3は折り畳めばとてもコンパクトになり、非常に軽いので輪行にお勧めの1台です。皆さんもDAHONの折り畳み自転車(フォールディングバイク)で、自転車散歩という休日の愉しみはいかがでしょうか。DAHONでは様々な折り畳み自転車をラインナップしていますので、走行機能と折りたたみ機能のバランスを考えながら直感的な好みも含め、自分にあった製品をお選びください。

DAHONでは今後も、様々な地方のローカルな鉄道駅を起点にした自転車散歩(ポタリング)記事を連載いたします。更新時にはFacebookやTwitterでお知らせしますので、ぜひフォローをお願いします。「ローカル駅からはじめる自転車散歩」専用のInstagramアカウントもありますので、こちらもぜひチェックをお願いします。


*使用車体
 DAHON / K3(Color:ガンメタル×ブラック)2021年モデル

*この記事で紹介している情報は、2021年3月時点の取材に基づいています。
*歩行者のいるところや細い路地などは押し歩きや迂回するなど、マナー優先でサイクリングを楽しみましょう。